教員の人手不足は「人数」ではなく「前提」の問題だった|現場を離れて気づいた限界

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――現場を離れて初めて気づいた、教育現場の限界

教員を辞めて、民間企業で働くようになってから、
教育現場を外側から見る機会が増えました。
その中で強く感じたのは、

「教員の人手不足」という問題は、単に人数が足りないという話ではない

ということです。

むしろ本質は、学校という組織が成り立っている前提そのものにあると、今は感じています。

全員が出勤していることを前提にした学校運営

今勤めている企業では、誰かが休んでいる状態が“普通”です。
体調不良や家庭の事情で休む人がいることを前提に、業務は設計されています。
代理体制も整っており、誰か一人が抜けても、組織全体が止まることはありません。

一方で、学校はどうだったか。
学校は「全員が出勤していること」を前提に、時間割も校務分掌も組まれています。

だからこそ、誰か一人が休んだ瞬間に、現場は一気に回らなくなる。
私はそこに、強い“自転車操業感”を感じていました。

代理対応が生む、終わらない疲弊

誰かが休めば、その穴埋めは他の教員が行います。
本来は空き時間として、
自分の業務を進めるはずだった時間を削り、
代替授業やテスト監督に入る。

その場は何とか回ります。
しかし、
日中にやるべき仕事ができない分、
そのしわ寄せは放課後や夜に回ってきます。

この状態が続けば、当然疲弊します。
しかも問題は、それだけではありませんでした。

代理対応のやり方によって、
教員同士の不満が生まれていくのです。

例えば、算数(数学)の教員が休んだとき、国語の教員が国語の授業を行う。
本来であれば、後日振り替えも可能なはずです。
それにもかかわらず、授業はそのまま国語として消化され、元に戻らない。

こうした小さな積み重ねが、
「なんで自分ばかり…」という不満を生み、
職員室の空気を重くしていきました。

本当は必要だった「余剰」

当時、私が強く思っていたのは、

常に余剰の教員を2人ほど抱える体制が必要だ

ということです。

余剰がいれば、急な欠員にも対応できますし、
業務が逼迫している教員を助けることもできます。
結果として、全体の負担は確実に減るはずです。

ただし、それが現実的に難しい理由も分かっていました。
最大の壁は、予算と年功序列型の給与体系です。

年功序列が生む違和感

年功序列の仕組みでは、
年齢を重ねるだけで給与が上がっていきます。
スキルや役割に関係なく、です。

実際、
60歳前後で副担任として業務量がそれほど多くない先生が、
若手教員の1.5倍近い給与を得ているケースもありました。
一方で、労働時間は若手の方が圧倒的に長い。

この構造に、私は強い違和感を覚えていました。

スキルと役割に基づく配置へ

私が必要だと感じているのは、
スキルに基づいた配置と役割の明確化です。

グレード制度自体を否定するつもりはありません。
ただし、そのグレードに見合った役割を担うことが前提であるべきです。

学年主任、生徒指導主事など、経験を活かすポジションを明確にし、
責任と報酬をセットで設計する。
そうすることで、若手の育成と現場の安定は両立できると考えています。

学校が抱えすぎているという現実

もう一つ、人手不足を加速させている要因があります。
それは、学校が本来担う必要のない業務まで抱えてしまっていることです。

学校外で起きたトラブルまで、
学校が対応するケースは少なくありませんでした。
本来であれば、まずは保護者が関係機関と連携すべき事案です。

学校内と学校外の線引きを明確にし、
業務を積み分けていく視点が欠かせないと感じています。

教員になりたい人を増やすために

最後に、教員志望者を増やすために必要だと思うことを二つ挙げます。

  • 仕事内容を厳選し、定時近くで帰れる仕組みを作ること
    長時間労働は、今の若い世代にとって魅力ではありません。
  • 能力に基づいた給与体系への転換
    「何ができれば、いくらになるのか」が明確であれば、キャリアを描きやすくなります。

教員の人手不足は、人数の問題ではありません。
前提、制度、文化――そのすべてを見直さなければ、状況は変わらない。

現場を離れた今だからこそ、そう強く感じています。

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